赤い糸、絡ませて。 -5ページ目

きっと大丈夫、なんてない。


分かってるふり、なんだな結局。


危機感が足りないのは、平和大国の風潮なのか。

自分で自分の身を守る力とやらを、

本当に持ってる人ってどれくらいいるんだ?


きっと大丈夫、って言ってる場合じゃない。

気をつけてるよ一応、って 一応 なんて言ってちゃダメ。


自分、油断してました。


幸い大事には至らなかったのだけど、少々怖い目に遭った。



久しぶりに、遅い時間に岐路についたわたし。

特に何も考えずに、いつものように帰り道を歩いていたところ。

何やら挙動の怪しい奴がいた。

自転車に乗っていたそいつは、

蛇行運転をしながら異様に遅い速度で自転車を漕ぐ。

わたしを後ろから追い越す時に、じろじろとこちらを見てきたり。


何か変な違和感を感じて、思った。


この人、痴漢じゃないか?


そんな勘。



角を曲がって消えたその姿に、警戒しながら帰り道を急ぐ。

人の気配のないひっそりとした路地は避けて、

なるべくコンビニの脇や車がよく通る道を辿る。


それでも家の近くになると、

どうしても人寂しい道を通らなければいけなくなって。

家が近付いて気が緩んだ所為か、迷わずわたしはその道に入った。


この日は何故か、いつもは殆どいないはずの通行人がいた。

一人は品のいいジャケットを着たおじいさん。

辺りをきょろきょろと見回していた。誰か人を待っていたのか。

二組目は若い夫婦。

小さな子供を連れて、遅い時間なのに犬の散歩をしていた。


こんな時間に珍しいな。と、

その家族連れとすれ違ってから、ふと後ろを見ると。



電柱の脇に、さっき見た自転車に乗った男が居た。


自転車に乗ったまま電柱にもたれかかり、

さっきの家族連れが通り過ぎるのを待っている。



明らかに、おかしい。

つけられてる。


こいつ、絶対、痴漢だ。



それに気付いた瞬間、ぞっと鳥肌が立った。

自分がである為の恐怖感。

手と足ががくがくと震え出したのが分かる。


つい先刻まで、おかしいと思いながらも、

「きっと考えすぎだ、何にもないよ」と心の何処かで思っていた。

その考えが、甘かった。


慌てて鞄から携帯を取り出しながら、

このまま歩き続けるべきか、立ち止まるべきか、と考える。

状況から考えて、すれ違い様に手を出す愉快犯か。

だったら立ち止まる方が危険かも知れない。


自転車の男がじりじりと横からわたし詰め寄るのと、

わたしが取り出した携帯から電話をかけ、言葉を発するのと、

同じくらいのタイミングだった、と思う。


「もしもし。ごめん、ちょっと電話付き合ってくれる?」


ここで大声を上げたりすれば、

激昂した男が何をするか分からないと思った。

わざとらしい会話はその為。


手を少し上げれば触れるほどの距離にまで近付いていた男は、

話し始めたわたしに、諦めたらしく。

わたしの横を通り過ぎ、そのまま走り去った。



危機脱出。

まだ震えの止まらない手で携帯を握り話を続ける。

電話の相手はTさんだった。


「今さ、変な人につけられてて」

「! そっち行くわ」

「ううん、もうどっか行ったから大丈夫。

 でもあと家まで20秒くらいかな、電話させてね」


家を目前にしていても、危険度が下がるわけがない。

動揺を隠せないまま、沈黙がないよう言葉を繋げる。

無事に家に帰りついた。


それから、少しの間動けなかった。

気が昂ぶっているようで、放心状態のようで。


もしあの時、あの家族連れがいなかったら?

もし、なにも考えずに人気のない方の道で帰っていたら?


考えただけで、怖くなった。

怖い、怖い。

辱める対象として見られた時、こんなにも女は弱いものかと思う。



小学校の時、同じような痴漢に遭った。

自転車に乗った学ランの学生。夏にしては変な格好だ。

下校途中のわたしの前を通り過ぎた姿に、変だな、と思った。

案の定、そいつは痴漢だった。

すれ違い様の愉快犯。

今でも忘れられない。


今回、わたしが「もしかして、」と察したのは

昔と状況が似ていたからかも知れない。

何の経験もなかったら、もっと油断していたと思う。



だから、此処に書き留めます。


本当に、本当に危ないから。

きっと大丈夫、なんて思わないで。

誤解を生む例えかも知れないけれど、

電車やバスの痴漢とは毛色が違いすぎる。


これを読んでくれた女の子達が、

少しでも危機感を持ってくれたらなと思います。



ごめんTさん。

また、同じ心配掛けちゃったな。






昔語り 2

 

※まだ読んでない方は、こちらからどうぞ。

  「昔語り 1」


そんなわけで、一番古い記憶がこんな感じ。



その後、幼稚園に入園。

うちは無宗教なのだけど、入ったのはカトリックの幼稚園。

何故って。

多分、一番家に近かったから。かな。笑


もちろん、礼拝やお祈りの時間の時間は当たり前で。

事実、わたしは卒園するまでずっと、

「神様は実在している」と思って疑わなかったし。


そして、

近しい人のに、初めて触れたのもこの頃だ。


卒園間際のこと。

長く入院生活を送っていた、同じ組の女の子が亡くなった。

原因不明の病気だったのだと聞いた。


わたしはその子と一度だけ、遊んだことがある。

わたしと彼女と、彼女のお父さんで公園に出掛けた。

その帰り道、「つかれた、つかれた」と彼女がぐずり出して、

彼女のお父さんが、渋々彼女をおぶって帰った覚えがある。

その後くらいから、次第に彼女が幼稚園を休みがちになったのだったか。


園内で行われた彼女の告別式では、たくさんの花が飾られて、

先生も友達も保護者も、みんなが祈りを捧げた。


ひどく泣きじゃくる友達に、先生が言う。

「○○ちゃんは神様の所へ行ったのだから、泣いちゃだめだよ。」

でも、そう言った先生も泣いていたのを覚えてる。


ここで過ごした二年は、その後の考え方に少なからず影響を受けた。



卒園して、小学生に。

この頃は手が付けられない位に男勝りだった女子、テツカ。

兄が二人に、近所の幼馴染は男の子ばかり。

口が悪い、手が早い。

そりゃそうなるよ。と言っておきたい。笑


そんな小学校生活で起きた、とある事件。

これは、わたしに色濃く影響を残していくことになった。





昔語り 1



自分の一番古い記憶って何だろう、と思い出してみた。



小児病棟のベッド。

見舞いに来た母親。

母に教えられて覚えた折り紙の鶴。枕元に何羽か並んでいる。

どうやら自分で折ったらしい。


それが覚えている限りの一番古い記憶。


聞いたところによると、

わたしは幼稚園に入園するまでに何度か入院していた。

何かを患っていると言うよりか、

先天性なもので、形成外科の範疇なこと。


病気と言っていいものか微妙なところだけれど、

これについて詳しくは、よく知らない。


というより、あまり興味がなかった。笑


この記事を書くにあたって、先刻初めて調べたくらい。

詳細を読んでみても、「ふーん・・・」という感じ。

印象薄。


これは少しばかり傷跡が残るもので、

一時期その跡を気にしていたこともあったけれど、

年を重ねるうちに徐々に気にならなくなった。

気にしていたのは中学生くらいまでかな。


主治医の先生にも、

「女の子だし、お化粧する頃になれば気にならなくなるよ。

 もし気になるようだったらその時また来るといい」

その時は、手術にはなるがもっと傷跡を薄く出来るから。と。


そう言われたものの、結局行かないまま今日に至る。


それでも、ある時。職場の新人研修で出会った女の子に

「もしかして○○(病名)? わたしも一緒なんだ!」と、

顔を合わせてたった数秒で言い当てられたのは流石に驚いた。

彼女に言われるまで、自分のことはすっかり忘れていたのに。笑


その子は、わたしよりずっと気にしていたんだろうな。

彼女にとって、これコンプレックスだったのかも。

だから同じものにすぐ気付いたんだろうと思う。


んー。

コンプレックス、か。

同じものでも人によって、捉え方は天と地ほど違うものだ。




※なんとなく、昔から今にかけての事を書きたくなった。

 文章綴りたい症候群発症中。

 なので、しばし書き流していこうと思います。



負け

「どうして自分ばかりが、」

って言葉は狡いと思う、


そう言われた人は、どんな言葉を返せばいいんだ。
そう言ってしまった自分は、どうやって自分を奮い立たせればいいんだ。

だから言いたくない、この言葉。
言ったら負けだ、そう思いながら。



でも、どうしてもそう言わずにはいられない時だってあるんだよ。

叱る。

ここ最近、喧嘩の回数がぐんと増えた。

喧嘩と言っても、殆どの場合が一方的にわたしが怒るパターン。

怒るようでもあり、叱るようでもあり。

何も言わなければそのまま通り過ぎるような事でも、

この頃は敢えて口に出すことにした。

そうすることで、重い空気が電話越しに漂うことになっても。

多分、以前の私なら彼の行動や言葉に対して「え。」と思ったとしても

そのまま何も言わないで我慢したり、忘れようとしたりしていた。

それがここ最近は出来ない。

というより、「そうしないでおこう。」と思ったのです。

これから永い付き合いになる人だからこそ、

些細なズレや価値観の違いを修正したいと思う。

二人は別々の個人であるから、

完全に同じになんてなれないのは分かる。

同一になるべき必要なんてないのも分かる。

それでも、同じになれないのであればこそ、

分かり合わなければいけないこと、があるんだと思うので。

分かり合った上でのそれぞれの違いは個性として受け止められるから。

そういう姿勢で彼と向き合うようになってから、

気づいたことがひとつ。

彼は言葉の選び方を、時々間違える。

本人は間違えたことに気付いていない。

わたしはそうして彼に言われた言葉に対して、

憤ったり落ち込んだりして、機嫌を損ねる。

喧嘩の原因の殆どがコレだった。

穏便に彼の言葉の間違いを正しく訂正出来れば良いのだけれど、

悲しいかな、やっぱり感情が絡むとそうはならなくなる。

「最近、テツカを怒らせてばっかりだ」

そう呟く彼。

少し寂しげ。

わたしが怒っているのは必ずしも責める為だけじゃないのだと、

そろそろ伝えなければいけない時期なのかも。

でも純粋に怒ってるだけの時もあるけれどね。